仮レ宙

17, Circumstances alter cases.
《全体の状況が個々の立場を変える》

23,Silence means consent.《沈黙は承諾のしるし》 草ばかりの見通しのよい場所が続いていた中、久しぶりに、低木ではない、高木というものに出くわした。三人は、頭上から呼びかけられたような気がして顔を上げた。 「だれ?」 ゴウの問いかけには、何の答えも戻ってこないが、どこからか話し声が聞こえる。 「このレースは熱いよ! 三番は低オッズ。単勝でも一万倍はつくこのレース! 一発ドカンと稼ぎたい奴は乗っときな!」 「えっ、オッズ?」 「紳士淑女の社交場?」 ハチとミューは顔を見合わせてから、もう一度、声がしたほうを見たが、樹が茂るだけの景色にしか見えなかった。 「SPここは?」 ゴウは答えを求めて、SPを見上げた。 「ああ、魚木レース場に入ったみたいだ」 「ウオキレースって何? 植木じゃないの」 「ウオだ。どの魚が一番先に、木の天辺に辿り着くかっていうレースだよ」 SPは、多くの木が生い茂る森の中で一番太い木を指差した。 「たぶん、あれがレース場」 「魚が木に登るの?」 ゴウは、驚きのあまり開いた口が塞がらなかった。それは、ハチもミューも同じだった。 「冗談で終わってほしい状況だわ」 「登りきった魚はどうなるの?」 「食料になる」 「そこはゲンジツテキなんだね」 気になって仕方がなかった疑問の答えを得たハチは溜息をついた。 「さっき、声をかけられたような気がしたけど、気のせいだったのかな?」 この話の発端になった出来事を思い出して、ミューはSPを見た。 「気のせいであってほしいけど、そうじゃなかったら大変だよ」 SPとSWはお互いの顔を見て、頷きあっていた。 「どうしたの?」 ゴウが二人を見ながら、尋ねると、二人は溜息をついた。 「もし気のせいじゃなかったら、『沈黙は肯定』ルールに従って、オッズふくろうの提案したものに賭けたことになる」 「なんか、単勝でも一万倍って言葉が聞こえたような」 「何口賭けられたんだ?」 あまりのことに、その場にいた全員が言葉を失った。 「一口いくら?」 「その前に、わたしたち所持金がない上に、通貨が同じとも思えない」 ハチの真面目な質問に、ミューの鋭い指摘が入る。この二人は、ボケとツッコミの役割が決まりつつある、とゴウは真面目に考えていた。 「SPたちはお金ある?」 自分の立ち位置に悩む前に、今、降りかかった火の粉をどうにかしなければ。ゴウは慌てて、SPにすがりついた。 「残念だけど、お金は家の中」 SWは首を横に振りながら答えた。SPは放浪の末だ、と言って、魚の骨を見せた。自宅を出た数日前に比べて、格段に体力がついたと言い切りたいゴウはミューとハチを見た。 「全力で逃げよう」 囁くほどにしか聞こえていなかった頭上の音が、爆音に変わった。 「なに?」 その音の中心地を見ると、魚が木に登り始めていた。ピチピチとまだ新鮮な魚が、我先にと木を登っていく。光を受けて輝く銀色のボディが目に刺さる。 「ファ、ファンタジックな光景だね」 「じゃなくて」 ゴウは、ハチとミューの手をとって、レース場から逃げ出した。いや、正確には逃げ出そうとしていた。 「まだ、着順が出る前だ」 ゴウの目の前に、白地に茶色の縞が入ったふくろうが現れた。いけふくろうではないふくろうと面識がないゴウにはそれだけでも驚きだが、その異様な眼の輝きに体が震えた。 「これは、詐欺を通り越して、恐喝、監禁に近いわ」 「こうなったら、その三番に何がなんでも勝ってもらうしかない」 SPが溜息をついた。力なく、五人はレース場を目指した。 「ビギナーズラックという魔法を信じてみたいね」 先頭とはもう十魚身は離されているだろう、最後尾でまだ根元の三番の魚を見て、無理だろうけど、とハチは続けた。ゴウは、路銀がなくなり、どこかの宿や食事どころでただ働きをする姿を想像していた。それが現実のものになってしまうと思うと、いても立ってもいられなかった。ゴウは助けを求めるように、ハチとミューの手を握った。 「三番イケー!」 熱を帯びた歓声の中、ハチの声はひときわ大きく響き渡った。その瞬間、奇跡が起こった。先頭を登っていた五番がバランスを崩した。ほんの少しバランスを崩しただけだったのが、ほかの魚にも伝わった。先頭グループの魚がまず落ち、続いて中盤グループも巻き添えを食らって落ちた。ゴウはどこからか沸いてきた罪悪感により、心の中で競争魚たちに謝っていた。 「やべっ」 おそらく元凶となったハチも静かに目をそらした。 「落ちたらどうなるの?」 「再度、登ればいい」 ミューの質問に答えていたSPは、転落した魚たちに合掌した。 「でも、あれじゃ、レース続行は難しいだろう」 最後尾の三番だけは、落下した距離が数センチもなく、再度、登り始めた。これでよく、競争していたなと感心させられるほどの速度で、三番は天辺まで登りきった。 「ビギナーズラック」 呆然としたようにハチがゴウを見た。 「ここにコクトウがいたら、絶対に起こらなかった奇跡だわ」 見上げると、オッズふくろうがギョロと、目を五人に向けるところだった。 「まっ、勝ちは勝ちだ。八百長でもなかった」 なにやら重そうな袋を五人の前に落とした。 「負けていたら、どうなるの?」 万が一の逆、万のうち九千九百九十九の可能性で存在した未来をゴウは聞いてみた。 「そりゃ、身包み剥がすに決まっているじゃないか」 神様のイタズラが巻き起こってくれたことに、心から感謝するしかなかった。 「次のレースは乗るか? 次の人気は」 「降りる!」 知らないうちに引き込まれるギャンブルから抜け出したい一心で叫んだのはゴウだけではなく、五人の声がピタリと一致していた。肩車をしているミューとハチを見て、ゴウは重い袋を肩に背負った。活気に満ち溢れた魚木レースの森を走るようにして抜け出した。 川岸スレスレの植え込み近く。足場がいいとはいえない場所ばかりを進む大人の姿がそこにはあった。二人が出会ったあたりの川岸に比べると、足元に転がっているもののサイズも幾分、大きくなっているように見える。その代わりというには、性質が違いすぎるのだが、二人の足元に繋がる白黒コピーはミニチュアのよりも小さかった。 「ちょっと、ちょっと。いくら失業が怖いからって、こんな端ばかり選んで歩かなくてもいいでしょ。どうせ隠れていても無駄だし」 不満を口にするコクトウに、イデは不機嫌そうな視線を送った。 「うるさい」 「下向いてばかりだし。もしかして、何か探しモノ? 一緒に探そうか?」 「いらん」 「イデ、あんた、本当にわかりやすい奴ね。脈が乱れまくっているわよ。大人のツンデレってどうよ。ツンデレって、見ている分には萌えキャラになりうるけど、身近に実物があると面倒この上ないわよね。認識を変えるわ」 「デレてないだろ。いやな女だなぁ」 「で、探しモノは何?」 何も言わないイデに、コクトウは溜息をついた。 「レディには言えないようなものなのね。そりゃそうよね。同じ形のものがあまりないんじゃ、持ち込まないといろいろと不都合よね。いっそ失業に飲み込まれておいたほうがそういう欲からは開放されるかもよ」 哀れんだようなコクトウの表情を見て、イデはその表情を変えた。 「なんていう、勘違いをしているんだ」 「恥ずかしいことじゃないわよ。生物としての健全な欲求でしょ」 真面目な顔で答えるコクトウに、イデは頭を抱えた。 「残念ながら、そんな余裕はオレにもない。その前にどこにレディがいるのか教えてくれ」 コクトウはこれ以上になく魅力的な笑顔でイデの胸元を持ち、吊るし上げた。 「あら、やっぱりお仲間ね。じゃあ、お互い現実的な何かを探すのに協力しましょうよ」 イデは、忌々しいと呟きながら、視線を大地に向けた。コクトウが何かを指先でいじっているのを捉えたようだった。 「何だ? それ」 「ああ、これ? これで私たちがいた世界に戻れるみたいなのよ。だから早く子どもたちを見つけ出さなきゃ」 「『みたい』って、それで来たんじゃないのか?」 「誘拐されたのよ」 「じゃあ、なんで、そんなの持って、ここにいるんだ?」 「犯人にハニートラップ仕掛けたのよ」 イデは疑いの眼にダイアルを合わせ、開いた口が塞がらないというような演技を見せた。 「言葉の定義が違うようだな」 「へぇ」 「オレが知る限り、それはたぶん、恐喝、という行為だったはずだ」 自信がある様子のイデに、コクトウは、溜息をつきながら、首を横に振った。 「魅力的な女性が敵方から情報などなどを頂戴するっていう素敵な罠は、私たちの世界ではハニートラップって呼ばれてるのよ。異文化交流は難しい」 「言葉の定義は同じようだけど、今回は別のケースだよな」 犯人のご冥福をお祈りします、と続けようとしたイデの顔のすぐ横をコクトウのかかとが通り過ぎた。残像と空気の対流しか感じることのできなかったイデは、一番可能性が高いと思われる予想を口にする。 「かっ、かかと落としっ?」 「最近、ちょっと運動不足みたい」 この上なく優しく微笑むコクトウに、イデはゴクリと唾を飲み込み、体を震わせた。 「やはり、姫は救出を待たれる方がよろしいかと」 「あら。幸せは自ら掴むものよ」 「姫の微笑みは、本当に、怖い」 「あら、いつでも笑っているって約束を破れない一途な乙女っていうだけよ」 「約束はこりごりです」 「じゃあ、契り」 「ファーザーかよ」 「そんな威圧感ないでしょ。せいぜい、お嬢にしておいて」 コクトウの魅惑的なウィンクにイデは、その身を萎縮させた。 「お供いたします」  キビ団子すらいただいていないのに、鬼の遠征へとボランティア参加させられたイデは、ただただ溜息の連続記録を伸ばすことしかできないでいた。イデは、この崩れることのなさそうなパワーバランスから抜けられない不満を込めた視線を空に向けた。 「ん?」 黒い点のようなものが、イデが注目を続ける地面を飛びまわっていた。イデの声に、コクトウも視線を同じ方向へと向けた。 「昔から探しモノはやめたときに出るとか、誰かが運んでくるとかいうじゃない。それが空飛ぶ鹿とは聞いたことはないけど。イデ、あれ、なに? 就職かしらと」 「就職口は自分で探せよ」 「じゃあ、何?」 「知らない」 「無責任な」 イデは小さく舌打ちを返した。舌打ちに対しての不満を述べるよりも目を背けることができない現実が勝ったのか、コクトウは注意をイデから空にいる何ものかに移した。 「向かってくるような気がするんだけど、気のせいかしら?」 コクトウは、自意識過剰だという批判を待ち望む数少ない機会に恵まれたが、そのチャンスはまたしても望む方向と反対側へ転がった。 「さすが、女の第六感」 イデを目で、手首で動きを封じ、コクトウもその足を静かに、けれど確実に後退させる。 「きっと探しモノを届けにきたのよ」 コクトウは顎で、目立つ場所に向かうよう合図を送る。 「いや、きっと就職口だ」 イデは目で先を譲ると伝えた。 「私はここへはほんのバケーションでしかないから、これはイデのヘッドハンティングよ」 「いやいや、レディーファーストというものを教え込まれているし」 「あら、私は亭主関白の教えを叩き込まれているのよ」 両者は譲らず、お互いに視線で牽制しつつ、その足を後退させ続ける。一方の二人を怯えさせる空飛ぶ鹿は、ますますその高度を下げていた。 「生贄がうまくいったとしても、ここは安全なの?」 植え込み近くを歩いていたとはいえ、二人を隠すことができるような背の高いものは見当たらない。どう考えても、二人が目印のように見える。周りを見渡しても、背の高いものは川の対岸か、はるか遠方にしか存在していないようだった。たとえ、イデを見捨てて走り去ったとしても状況は変わらないと、コクトウは諦めに近い判断に至ったようだった。むしろ、足元近くに存在する川に飛び込むほうが、いくらかマシなのかもしれない。 「どうだろうな」 「そもそも、アレは危険なものなの?」 「知らない」 「あんた、意外と世間知らずなのね」 「オレは箱入りなんだ」 コクトウの目と空飛ぶ鹿の目が合ってしまった。 「よくわからないけど、まずいっ!」 「どう」 イデのどうした、という問いかけは言葉になることはなかった。コクトウの視線の先に、意識を向けたイデにも、その意味はありありと伝わった。諦めたイデの目には、空飛ぶ鹿が速度を増してこちらに向かう光景が映った。 「顔が流線型に変化したけど?」 まるで戦闘機じゃない、とコクトウも呆然と呟きながら、その恐怖の光景に足を後退させた。しかし、すでに後退させるスペースはもう僅かしか残されていなかった。

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