仮レ宙

12.Old friends and old wine are best.
《古い友と古い酒が一番いい》

「おかえり。どうしたの? 暗い声だして」

コクトウの声に顔を上げたゴウは大いに驚いた。玄関から見えるのは、コクトウの黒とは反対の白を表現していた。
「ショック受けたキリン?」
うろたえたゴウを見て、それはニンマリと笑った。
「コクトウ、変な子がいるわ。会うなり『美人』って口説いてくる」
「いや、あんたのほうが何十倍も変だから大丈夫。あんたは架空の動物よ」
ん、しか合っていないのに、このミラクルポジティブな発言。そして、コクトウのツッコミ。ゴウは昼間の会話を思い出していた。
「この人は」

変わっている人だとは聞いていたが、風貌は知らない。この見事な金髪で彫りの深い顔立ちのその人が、できれば係わりたくないと感じた人であったことはゴウに衝撃を与えた。
「あぁ、空耳サンダー」
ゴウは納得した。コクトウやミューが女帝なら、この人はジョーカーだ。
「『サンダー』って呼ばれてていいの?」
サンダーはおかしいことを聞く子ねというような表情をゴウに向けた。
「あだ名って、いきなり変えられるものでもないのよ」
洗い物を終え、黒糖そら豆をつまんでいるコクトウを指差しながら、サンダーは笑った。
「コクトウは見るからに、『コクトウ』じゃない」
でも、とサンダーの指先につられるようにコクトウを見ていたゴウは、サンダーに視線を戻しながら言葉を続けようとした。
「コクトウは、先月まで白かったわよ。髪の毛も普通のセミロング。筋肉もここまですごくなかったし」
サンダーはゴウを部屋の中に入るように促した。
「どうしたの?」
黒糖そら豆の袋をサンダーに向けながら、コクトウは聞いた。
「ゴウが白いコクトウを想像できないんだって」
黒糖そら豆をつまみながら、サンダーは笑った。ゴウは、コクトウの機嫌を損ねてしまわないか少々心配だった。
「あぁ、自分の写真なんか飾らないしね。仕方ない」

黒光りする筋張った体のコクトウが正反対の姿をしているところは、ゴウにはやっぱり想像がつかなかった。
「じゃあ、いいものを見せてあげる」
サンダーが携帯電話を取り出して、画面をゴウに見せた。
「なにこれ?」
画面の中に、何かのパーティーなのか、お洒落をした三人の美人がいた。一人はサンダーだということがゴウにもわかった。残りの二人をゴウは知らなかった。
「花の独身組」
「こ、これはだれ?」
「美人すぎて惚れちゃう?」
「まさか」
即答したものの、ゴウはドキドキするのを隠せなかった。画面の中にいる一人は昨日出会った可愛い女の子を大人にしたような人だった。
「これがアタシで、こっちがアリタ、で、これがコクトウ」

その説明にゴウは胸を撫で下ろした。コクトウにドキドキしていたのではないことが安心を誘った。
でも、指差されたコクトウは、今のコクトウとも、よく知る「おばさん」とも違う、ただの美人な女の人だった。
「私たちが十六歳のときだっけ? 初めて会ったの」
コクトウが遠い昔を思い出すように、サンダーへ同意を求めた。サンダーは、少し考えて、うーん、そうだった、と答えた。
「あれから、十六年? 十七年? 早いっ」
焦るコクトウとサンダーを見て、ゴウは顔を隠して笑った。
「アリタがもう三十三だから、十七? もう人生の半分以上の年数に関わっているの?」
ギャーッと悲鳴を上げ、二人は怯え始めた。
「アリタって?」
ゴウは初めて聞く名前に興味を持った。美人二人に挟まれた美人というよりは美少女というような雰囲気の女の人だということは写真から伝わる。
「可愛いでしょ? でも、実は誰よりも一番タフでマッチョなのよ。どんなところでも生きていけるけど前途多難な危険人物。魅力的で憧れる」

サンダーの目は、優しくて、でも、どこか悲しそうだった。もう少し聞いてみたい気持ちもあったが、これ以上聞いてはいけない気がして、ゴウは口を閉ざした。
「別名、歩くフリスク。そして、見た目を最も裏切る奴」
グラスを持って、テーブルの上にセットし始めたコクトウが、補足説明を入れた。サンダーは何事もなかったかのように、そうそう、と笑いながら相槌を打っていた。
「どういうこと?」
「奴はフリスクでどうにか自分をコントロールしているけど、それでも十分デンジャラス」
「それじゃ、わからないよ」
「運が悪ければ、その猛者にも近々会えるから、自分で確かめてみたら?」
「運がよければの間違いじゃないの?」
「間違いなく、悪ければよ」
 コクトウの言葉にサンダーも大きく頷いていた。
「間違いなく、アリタはクモハだわ。サハじゃない」
「モハじゃないの?」
「奴は、中間に納まる奴じゃないからね」
「ねえ、なんでそこであんたのインテリジェンス披露してるのよ。私は猛者って言ったはずだけど。いい加減しばくよ」
「アリタに言いつけてやる」

十二分にインパクトもある。そして、疑いようもなくゴウを怯えさせる要素を持つこの二人を脅かしているようにも見える人物、歩くフリスクとは一体何者なのか。ゴウには想像がつかないものだった。怯えているゴウに気づいたのか、コクトウがゴウに向き直った。
「そういえば、サンダーのすごい脳内変換の話聞きたい? 実はさっき、最新で最強の伝説が生まれたのよ」
コクトウは真面目な顔でその一部始終を語り始めた。ゴウはどこから誕生したのかわからないマサトというオジサンの新たな伝説に腹筋を痛めつけていることだけはわかった。

玄関の前でミューは少なからず不安だった。さすがに説明もなく、見知らぬ人を連れてきてしまったのはいかがなものか。
そんな不安なミューの心のうちを笑い飛ばすかのように、部屋の中から大爆笑が聞こえてきた。アメリカンコメディで聞こえてくるような大爆笑は、また別の不安を呼ぶ。

ミューは不安を多分に含んだ視線を少年に送ると、彼もまた、一体何事だというような不思議そうな表情を返した。
心を決めて、ミューがインターフォンを押すと、頑張って息を整えましたというようなコクトウの声が聞こえた。
「ただいま」

思い切ってドアを開けたミューの目に飛び込んできたのは、お腹を抱えて涙を流しながら笑うコクトウと、呼吸困難に陥りながらも笑い続けるゴウの姿、だってそう聞こえたとボヤキながらも笑うサンダーの姿だった。デフォルトモードで十分、少年の言うところの普通ではない人たちの普通ではない様子に、ミューは心の中で汗をかいていた。後ろを見ると、目を丸くしている少年がいた。
「あー、おかしい。ミューどうしたの? そのイケメン」
「『マサト』だ」
ゴウが叫ぶと、コクトウとサンダーは吹きだした。
「河口にいたの。悩みがあるみたいだから連れてきちゃった」
笑うことに労力の大半を使っていたコクトウは、ミューのその説明にも深く追求することはなく、部屋の中へと案内した。左手には、しっかりと電卓が乗せられていた。
「会費は一人七百五十円ね」
お金についてはしっかりと、というように、コクトウは伝えた。
「やっぱり徴収するのね。さすが」
「当たり前でしょ」
部屋の中に入った少年は、顔を引きつらせてミューの耳元に囁いた。ミューはそれを聞いて思わず吹きだしてしまった。
「コクトウ、英語がしゃべれないって」
コクトウは、よし、と気合を入れて、コクトウはサンダーに向き直った。
「サンダー、ユーがウォントならドゥーしちゃう?」
「無理! っていうか、ユー、スピークするっていうのライじゃないの?」
「そう言っているけど、私が相手しようか。英語」
「日本人?」
「ほかに何に見えるっていうのよ」

胸を張ってみせたコクトウは、もともと長い手足に、肩幅しっかり、胸板もある体型に、日本の成人女性があまり好まないようなショートパンツにタンクトップを着用している。その上、目鼻立ちがこれでもかというようにくっきりとしている上に、美白神話を爆破するような日焼けした褐色の肌、スパイラルパーマというような風貌だ。日本人というイメージから離れているのは否めない。しかも、筋肉で引き締まりすぎている体では、来日したアスリートのようにも見えないこともない。
対してサンダーは、コクトウ同様に、長い手足、日本人女性の平均よりは高い身長。真っ白という言葉がぴったりなほどの色白で高い鼻、しっかり二重の中にはヘーゼルナッツのような色の瞳、さらに金髪とくれば、こちらもまた、日本人のイメージ通りではない。
言葉を失っている少年に、コクトウはウィンクしてみせた。
「ヤマトナデシコが揃っているでしょ?」
どちらかといえば、戦艦大和だと、ゴウは、心の中で、心置きなく訂正を入れた。
「そうそう。本当に山田のデコは広くなってたよね」
先ごろの同窓会で久しぶりに再会した同級生と思しき人物の話をサンダーは始めた。
「なんで急に、山田の話になるの?」
「えっ、今、コクトウがデコの話してたんじゃん」
そのやり取りを部屋の奥で聞いていたゴウは、整えたばかりの息をまた乱していた。
「まぁ、いいや、食べ始めよう」
コクトウもまた涙を指で掬いながら、二人を食卓に座らせた。
「なんだかすごい人たちだね」
その中に間違えなくゴウも入れられたと感じ、ミューは苦笑いしたが、一度、笑いのツボを刺激されたせいか、なかなか息を整えられないでいるゴウをみるとそれは仕方ないことのようにも思えた。

食事が始まる頃に、ようやく自己紹介が行われ、ミューが連れてきた千原少年は、「瑛人」という名前から、サンダーに「ハチ」と名づけられたのだった。ハチじゃ、犬みたいだとハチは呟いていた。
「そういえば、メモリを見つけたんだ」
サンダーの空耳の話題ばかりで、ゴウは大切なことをミューに伝え忘れてしまうところだった。ミューは食べていたローストチキンを喉に詰まらせてしまったみたいだった。
「昨日のあいつが持ってた」
「あいつって?」
「昨日の『宇宙人』発言をした面倒臭い奴」
ミューは疲れた表情を見せ、コクトウはククッと笑いを漏らした。
「なになに?」
面白い話は聞き逃さないというようにサンダーがコクトウに尋ねた。
「この子たちの落し物を拾ってくれた子がミューのことを好きみたい」
全てを短くしたようなコクトウの説明に、サンダーはロマンスだわと目を輝かせた。
「出た。万年、夢見る乙女」
コクトウは楽しげにサンダーを見た。そんな二人の様子は構わず、ゴウは説明を続けた。
「あいつ、ハヤマって言うんだ。サッカーだと思うけど、ユニフォームに書いてあった」
「ユニフォームって、赤?」
「うん」
「もしかしたら、そいつは知ってる奴だ」
手がかりを失っていたゴウには、これ以上にないうれしい可能性をハチから渡された。
「本当?」
「チームメイトだよ。たぶんね」

ミューは、ハヤマの嫌な思い出がそうさせているのか、しかめっ面だった。
何の前触れなく、インターフォンの音が聞こえて、ゴウは会話を続けるタイミングを失った。ジーンズを履いた長身の男の人が新たに部屋へと迎え入れられた。男の人は、部屋の中を確認するなり、右手を上げながら、笑顔を作った。
「おー、アサミチャン」
「あらー、相葉ちゃん」
そんな反応を示したサンダーの姿に注目が集まった。アサミチャンだって、という密かなざわめきがゴウを中心に沸き起こった。その言葉は、珍しく、サンダーに脳内変換されることなく届き、ゴウはサンダーの平手をおでこに受けることになった。
「この人は誰?」
「驚いた。なんで二人ともいきなり仲よさそうなの?」
ミューの質問の答えは、グラスを持って戻ってきたコクトウに遮られた。
「ゴ・ウ・コ・ン」
サンダーは、人差し指を左右に動かすというレトロな動作を得意げな顔でしてみせた。
「出会いは大切だから」
男の人が補足説明をしてくれた。
「この人が昼間話した『シカ』」
このイケメンといっても暴動は起こらないだろう人を捕まえて、どうしてシカなのかとゴウは頭を抱えた。
「トーコ、『シカ』はないよ。相葉雅行です」
よろしくと言って、ゴウとハチに会釈を、ミューにウィンクをしてみせた。
「君がゴウで、こちらの美人がミューだね」
それぞれに向いて、名前を確認するように見た後、シカは、これは?とハチを指差し、コクトウに向き直った。気持ち悪いものを見たというように舌を出していたコクトウは、慌てて顔を戻した。
「ハチ。ミューが今日、河川敷で拾ったの」
シカはハチに向き直り牽制するような視線を送りながら、挨拶を交わした。
「なんで、ハチには厳しい表情なの?」
ニコニコとしていた表情を一転させたシカにゴウは聞いた。
「若い芽は早いうちに摘んでおく必要があるんだ」
「どういうこと?」
意味がわからないというように、ゴウはコクトウに助けを求めた。
「ハチがイケメンってことよ」
「納得」
ゴウはそう言ったあと、一つの疑問に辿り着いた。
「僕は?」
「ゴウは大丈夫だ」

その答えが面白いというように、ミューは笑っていた。シカに太鼓判を押されたゴウの心のうちは複雑だった。ハチは困ったようにゴウに助けを求めるような視線を送ったが、ゴウはこっちこそ助けてほしいと、その視線に気づかないふりをした。
「ゴウ、モテたいなら、少女マンガ読んでおけ」
 孤立無援のゴウに、泥舟の可能性を多分に含んだ助け舟を出したのはコクトウだった。
「少年マンガじゃないの?」
「バッカねぇ。少年マンガは男の子の願望でしょ?」
「そんなんじゃ、ただの憧れだよ」
「同じよ」
「だから、アタシは少年マンガのヒロイン的な行動を心がけているのよ」
 そんなヒロイン見たことがないとゴウは心の中でしっかりとツッコミを入れて、発言主であるサンダーを横目で見た。
「分析だけにしときな。行動をそのまま真似すると、男も女もただイタイ奴になるから」
 目頭を押さえながら、コクトウは溜息をついた。反面教師が目の前にいるのはいいことだ。ゴウは、反論する気持ちも生まれないほど素直に返事をすることができた。
「そうする」
「トーコ、俺がこれ以上、もてるにはどうしようか?」
「オッサンは男性向けマンガか、男性作家の恋愛要素を含む小説でも読んでおけ」
「どういうこと?」
「手遅れだってこと。もう妄想で幸せ掴んでおきな」
「コクトウ! 止めて! これ以上、面倒臭い男を生まないで! それなら『夫』をググッて、現実を見せてやって頂戴」
 面倒臭いヒロインに面倒臭いといわれるようになってしまったら、おしまいだ。死亡フラグすら立たないだろう。ゴウは、また少し大人の階段を登った気がした。

そういえばと言いながら、シカはコクトウのTシャツの裾を引っ張った。
「何?」
「ポストの中にこれがあったけど、心当たりある?」
シカはジーンズのポケットから何かを取り出すのに、苦労しているようだった。
「あんた、人の家のポストを勝手に見るの?」
呆れたというようにコクトウはシカに涼しい視線を送った。
「バカにするなよ。開けっ放しになってるポストがあると思って見たら、トーコの家のポストだったんだよ。それにストーカーのこともあるし」
ポケットを探っていたシカが鈍く光る黄金色の丸いものを差し出した。
「これって」
言葉を続けるかわりに、コクトウはミューに視線を投げた。サンダーやハチ、ゴウと談笑していたミューだが、コクトウの視線に気づき、そっとその場を離れた。
「懐中時計」
シカの手の中にあるものを見て、ミューは呟いた。シカは、その様子を見て、静かに懐中時計をミューの手の上に置いてやった。ミューは手のひらに置かれた懐中時計を開いたり、閉じたりしながら、まんべんなく確認した。
「確かにわたしのだけど、なんだかちょっと違う」
「とりあえず、ありがとう」
「いや」
「ねぇ、こことここに、傷が新しくできてる」
ミューはようやく顔を上げ、懐中時計を指差した。俺じゃないというシカを横目で見ながら、コクトウはその傷を見た。
「新しい傷にしちゃ、随分、年季が入ってるのね」
だから俺じゃないというシカを無視して、コクトウはミューを見た。
「うん。ログを見ないと何ともいえないけど、誰かが使ったのかも」
コクトウの視線を受けたミューも真剣な眼差しを返した。その可能性を考えようにも、メモリがないと動くことはないはずだった。
「これ、ただの懐中時計じゃないの?」
シカが真剣そのものといった様子の二人に尋ねる。ミューは少なからず動揺した。すでに事情を話してしまっているサンダーを横目で見ると、将来のイケメン二人に囲まれてご機嫌そのものだった。
「コクトウ、人生は冒険なのよね? そして、冒険に危険はつきもの」
「まぁね」
「それならわたしも動いて出会う危険を選ぶわ」
ミューはシカの前に懐中時計を差し出した。突然、目の前に差し出されたことに面食らいながらも、シカは、懐中時計に手を触れた。
「これはわたしが作ったタイムマシンのようなものなの」
意外にもシカは、興味深いと真剣な表情で続きを促した。ミューは懐中時計の文字盤の裏に作られたレーダーを開いて見せた。
「この時計だけじゃ動かないの。時間のひずみを見つけ出して、呼び寄せることができるんだけど、それぞれの特徴を書き出したデータが入って、ようやくその働きを見せるの」
「そのデータは今ある?」
ミューは力なく首を横に振ることで答えを伝えた。
「そしたら、さっき言っていた『誰かが使う』ってことは無理じゃないかな?」
「でも、そのデータが入ったメモリを持っている人物がいるんだよ」
楽しいサンダー劇場はいつ幕を下ろしたのか、ゴウがその答えをつないだ。この場にいる中でただ一人事情を知らないハチだけが、目を瞬かせていた。
「ねえ、その前にゴウたちは何でここにいるんだっけ?」
主演女優を譲らないサンダーは話の流れを華麗に切り崩す。
「ゴウのママ、長谷川、ここではまだ旧姓の高橋 彩を探しにきたの」
視線が集まっているのに気づいて、説明者のミューは少々居心地が悪そうだった。
「君たちのところには、その人がいないの?」
シカは腑に落ちないというような表情をしていた。
「いるんだけど、確実にその人って言い切れないの」
「どういうこと?」
「二人いるように思えたの。これ以上は何もわからなくて説明もできないけど」
申し訳なさそうなミューに、仕方ないといって、シカは頭を撫でて、ゴウを見た。
「で、誰が持っているって?」
「ハヤマ」
シカの質問にすかさずゴウは返事をしたものの、「ハヤマ」と言ったところで、わかるわけもないということに気づいてはいた。
「中学生くらいの男の子よ」
やり取りを見守っていたコクトウが、説明を補ってくれた。
「使い方を知っているのか? そいつ」
訝しげな表情を作り、シカは回答者を限定しないような質問をした。ミューとコクトウとゴウは顔を見合わせて、瞬きを繰り返すだけだった。知っていたとしたら、何に使ったのか、おもちゃとして使うなら、なぜ、すぐに戻してきたのか? その答えは見つけることはできそうもなかった。
「ねぇ」

今まで黙って聞いていたサンダーが真剣な面持ちで、その口を開いた。
「葉山なら、ここから二時間くらいで行けないかしら?」
本日、最も的確なアドバイスで、この会話は終了となった。
「純愛には海が似合うわ」
妄想の砂浜を走り出したサンダーに、ゴウの開いた口はふさがらなかった。
「あんたのは、純愛じゃなくて、自己愛よ」
ぴしゃりと言い切るコクトウに、シカは愛の鞭炸裂と小さく冷やかした。
「何が違うの?」
コクトウにミューが聞くと、コクトウはニヤリと笑った。
「湧き出る下心に苛みながらも押さえようと足?くのが純愛で、新しい下着に気持ちを上げてもらって見せびらかすのが自己愛よ」
「よくわからない」
そのやり取りを見守っていたハチは言葉なく顔を赤く染めていた。ゴウはまだ夢の世界にいるサンダーを見ながら、魂が抜けてしまったかのように呆然としたままだった。
「まっ、愛なんてものが何かなんて、私にはわからないわ」
「わかる日がくるのかも謎だな」
「でも、『愛』って言葉を口にするときは、何かが終わったときってことだけはわかるわ」
「年の功?」
シカが冷やかすと、コクトウは無言で、サンダーを指差した。
「個体差だな」
「言葉は過ぎ去った気持ちしか表現できないわ」
コクトウは、プルタブをあけると、ビールを豪快に口に注いだ。
「将来の話もするじゃない」
頬を染めていた赤い色を抜き去ったばかりのハチが聞いた。
「それは目標や夢でしょ」
コクトウが返事をする前に、ミューの鋭い指摘が入った。
「言葉にできなくても、一緒にいたいと思う人や助けたいと思う人がいたなら、自分の欲求に従って動けばいいのよ。どうせ人生は冒険で危険はつきものなんだから」
オヤジ以上に豪快にビールをあおってみせたコクトウの視線の先にはサンダーがいた。黙ってジュースを飲むハチの頭をコクトウはグシャグシャとかき混ぜて、ニヤッと笑った。
「あんたも。そのままでいいの。悩むより進むほうが楽よ」
ボサボサになったと反論するハチの顔はやっぱり少し赤くて、横目で見ていたミューは、新たな笑いがこみ上げてきた。
「やっぱり俺のほうがイケメンだ」
嬉しそうにシカはビールをあおった。
「ボサボサのハチよりは、ずっと僕のほうがカッコイイよね?」
サンダーの呪縛を抜けたゴウがここぞとばかりにアピールしたが、それは笑いを誘っただけで、賛同は得られなかった。

明日も仕事だから、そろそろ帰るといって、シカが腰を上げた。ライバルを見届けようと、ゴウもコクトウに従って玄関に向かった。
「何かある前に連絡しろよ。危ないようなら、トーコの男友達を日替わりで門番させろ」
「家には、番犬がすでにいるわ」
ゴウを親指で指しながら、のんびりした口調で返事をするコクトウの言葉に、ゴウは団地の一室でしかない家の中を見回した。
「その番犬はまだ訓練前だ」
シカの視線でゴウはその意味を理解し、ムッとした表情でシカに応戦した。
「でも、シカ、虫が怖い人にも、この家の警備は向いてないと思うけど?」
 ゴウは思わぬところで敵の弱点を女主からゲットした。
「虫、怖いんだ」
「おまえ、これまでになくいい笑顔じゃねぇか」
 シカが凄んでも、それはただゴウのニタリという表情の中に吸い込まれるだけだった。
「シカ」
無言の戦いを止めたのはコクトウの呼びかけだった。片足を靴に入れているシカがこちらに顔を向けた。ゴウが見上げると、コクトウは微笑んでいた。
「シカでいてくれて、ありがとう」
「どういう意味だ」
「ハチとサンダーは、まだ帰らなくて大丈夫?」

聞き返したシカの声は、室内への呼びかけに消された。ゴウの目には、シカがコクトウに鋭い視線を送ったように見えた。二人分の足音がバタバタと玄関に向かってきた。
「別に。そのままの意味」
コクトウは室内に顔を向けたまま簡単に答えていた。
「やばかった」
「ありがと、コクトウ」
ハチとサンダーが玄関に辿り着いた。
廊下から外を見ると、部屋から漏れる明かりが川面にゆったりと降り注いでいた。流れる風もなく、空気が固まって動かない。静かな夜だった。ミューとゴウはコクトウの横で、三人の姿が見えなくなるまで、次第に小さくなっていく背中を眺めていた。

Back ← 12 → Next
Back to Story info