仮レ宙

17, Circumstances alter cases.
《全体の状況が個々の立場を変える》

21,Never say die.《死ぬなんていうな》 力のこもった足取りで、ぬかるんだ道を進むミューの背中を見失わないよう、ハチとゴウは追いかけるようにして進む。 「ねえ、あそこにいるのは、なに?」 ゴウが指差した先には、おそらくゴウ命名イイカゲンが話すところのQ橋があり、その橋のほとりに、うずくまる何か緑のものがあった。 「この世界のことを聞かれても、答えられないわ」 ハチも同感だというように頷いた。どちらにしても、向かう先は、Q橋の方角。遅かれ早かれ、その答えは三人の目に映ることになった。 「あの、どうかしましたか?」 先ほど見かけた位置から変わることのない場所に、それは存在し続けていた。体育座りのような姿勢で、川を眺めているそれは、人に似た風貌にも見えたが、肌は緑色で、背丈もゴウの半分くらいしかない。 「川を見ている」 突然話しかけてきた声の主に振り返ったあと、川のほうに視線を戻したそれは、無感動に返事をした。振り返った顔は、人の顔よりもずっと、黒くつぶらな瞳を持ち、大きな鼻が目につく顔だった。 「ああ、それはわかる」 それは、ゴウの言葉など耳に入っていないようだった。 「川を見ているだけ?」 ハチがそれに声かけた。 「いつもここで見ているの?」 「ああ、ここはいろいろ感じられる」 ミューの質問にも、それは、ずっと川のほうを見ていた。川の対岸を背伸びするようにして眺めていたミューの目に、森でも草むらでもないものが飛び込んできた。 「ねえ、対岸に村か何かがあるの?」 ミューの言葉に誘われるようにして、ゴウとハチも対岸に視線を送った。 「村」 「君が住んでいた村?」 ハチがそれと目線が同じになるように、しゃがみ込んだ。 「帰らないの?」 それは首を横に振っただけだった。 「君の名前は? オレはハチ」 「SP」 「よろしく」 ハチはSPへ手を差し出した。SPはその手をチラッと見ると、ハチの半分くらいの大きさの自分の手のひらをハチの手にパチッと重ねて、すぐに離した。ゴウはSPの正面に回りこみ、その手のひらを見て、ちっちゃい、と呟いた。 「SPの村まで道案内してくれないかな?」 ハチには珍しい強引なお願いに、SPは首を横に振るだけだった。 「どうして?」 「帰れない」 「なぜ?」 SPは静かに自分の左足を指差した。その左足は、膝と思われる部分から下がなかった。 「じゃあ、ハチが背負っていくわ」 ミューはSPに優しい微笑を、ハチには有無を言わさぬ視線を送って、提案した。ミューの言葉にSPはただ、首を横に振った。 「帰りたくないの?」 SPは静かに頷いた。 「じゃあ、仕方ない」 「ゴリ押し禁止協定」 ミューは笑ってみせた。ゴウの、いつの間にそんなものが、と呟きに、ミューは、暗黙の了解と答えてくれた。 「この橋を渡って、どう行ったら上流に着く? 村は必ず通らないと着かないかな?」 「村を通ったほうが早く着く」 「じゃあ、通るか」 ハチはミューとゴウに同意を求めた。二人は、もちろん、と言いながら首を縦に振った。 「なにか伝えておくことはある? お礼代わりに」 「『SPは死んだ』と伝えて」 次の目的地の村を観察するように、見ていたゴウは、ギョッとして、SPを見た。 「随分、穏やかじゃない伝言だけど、だれに伝えるの?」 「SWへ」 「なんで『死んだ』って伝言するのに、こんな村からも姿が見えそうな位置にいるの?」 ゴウは対岸の村とSPを交互に見ながら聞いた。 「死んだことと同じだから」 SPは対岸にある村を見た。その目は、対岸よりもっと遠くを見ているようにも見えた。 「でも、SPは生きているよ。足も片足だけどあるから、お化けじゃないし」 妖怪で食べられたらどうしようと、慌て始めたゴウを見て、SPは小さな微笑を見せた。 「食べないよ」 「なら、イイカゲンより、ずっといい。あれは最悪だったわ」 「足は、片方じゃダメなんだ」 「なんで?」 「欠けているのは、死んだことと同じだ。だから、ずっとここで死のうとしていたんだ」 「それなら、もう死んじゃおう」 ハチはSPの体を引き上げて、肩車をするように方に乗せた。いいなぁ、とゴウが呟くと、ミューがゴウの背中に飛び乗った。 「代わりにわたしが乗ってあげる」 「ミューじゃ僕がつぶれる」 どうにかミューを引きずってみせたゴウに、非力と言って、ミューはその背中を押して歩き始めた。 「どこへ?」 SPの村では、百五十センチ足らずのゴウでさえ、巨人のように見えた。ハチの上にいるSPなど、東京タワーにしか見えないんじゃないかと、ゴウは思った。ゴウがハチを見上げると、変わらずに穏やかに微笑むハチと、不安そうな表情で辺りを見回すSPがいた。 「ねえ、SWの家はどこにあるの?」 「その前に、みんな同じに見えるけど、どうやってSWを見分けるの?」 すれ違うSPそっくりの緑のものたちを見ていたゴウは、どれがSWか見分けることすらかなわないだろうと思えた。緑の体も、つぶらな瞳も大きな鼻が特徴的な顔も、服もみんな同じ。行動も取り立てて、変わったところは見受けられない。何が、違うのか、ゴウにはさっぱり検討がつかなかった。 「あれっ」 SPが同じに見える一体を指差した。 「あれが、SW?」 ハチの上で、SPは大きく頷いた。SWは、突然目の前に現れた異色の巨人たちに驚いたように目を大きく開いて棒立ちになっていた。ハチはSPをSWの前に降ろしてやった。 「た、ただいま」 返事はなかった。観察するように何度も、SWはSPを見回した。ハチとミューとゴウの三人は、ただその様子を見守っていた。 「だれ?」 SWの声は冷たかった。SPは、黙ってその場に立っていた。SWに向かって歩き出そうとしたゴウをミューは左手を差し出して、体をやんわりと止めた。驚いて、ゴウがミューを見ると、ミューは静かに首を横に振るだけだった。 「SP」 「SPじゃない。ここの村に足のないひとはいない」 SWの言葉が鋭く空間に響き渡った。ゴウはハチの手が握り締められ、二つの拳ができたのを見た。その拳はどこに動くこともなく、その場で小さく震えているだけだった。 「SW、なんだ? その部外者たちは」 ミューの後ろから新たな声が聞こえてきた。振り返ると、同じ形の緑のものたちが、びっしりと固まるようにして、SWに視線を送っていた。 「知りません」 震える声で答えるSWに、緑のもののどれかが、知らないわけがない、と叫んだ。そうだ、という声が、また生まれた。ゴウが息を飲み、そのやり取りを見守っていた景色の中、ミューが緑のものたちの前に進み出て、仁王立ちになったのを確認した。 「自分が出て行くなんて」 溜息をつくゴウに、ハチは苦笑いをしていた。SPもSWもただ怯えたように見ていた。 「通りすがりの部外者です。よろしく」 ニッコリと笑って、ミューは最前列にいる緑のものに、右手を差し出した。緑のものたちは、どよめきながら、少し後退した。 「部外者が何の用だ?」 「上流に行くために、通過しようとしているところです」 「なんで戻ってきた?」 「わたしたち初めて来たのよ」 不思議そうにミューは首をかしげた。 「まあ、いい。何にしてもそんなことは許さん」 「だれに許可を取ればいいの?」 面倒臭いロープレ、とゴウは小さく文句をいい、ハチは、それがロープレだ、と答えた。 「村に」 「村って、あなたたち村人に、ってこと?」 じゃあ、代表者を教えて、と続けようとしたミューの言葉は空気に触れる前に遮られた。 「違う、村だ」 「村はどこにいるの?」 「ここにある?」 やばい、ゴウは焦った。 「ミューの嫌いな、面倒臭いフラグが見える」 「ああ見える」 ハチが大げさなくらいに頷いた。 「『村』というものに、許可を取るのね? 村は?」 「村人の集まりだ」 「じゃあ、村人の誰かに許可をとればいいの?」 「いいや、村だ」 ミューは果てしなく続きそうな会話に溜息をついた。 「すごく無責任に聞こえてしまうのだけど」 「それは世界が悪い」 それは随分とまあ、グローバルなお話になったものだと、ミューは頭を抱えた。 「この世界はだれのもの?」 「だれでもなく、みんなのものだ」 「じゃあ、みんなでよくすればいいんじゃない?」 「世界が悪いから何もできない。世界がよくしてくれれば、ここもよくなる」 「じゃあ、世界に言ってみれば?」 「世界はみんなで作るんだ」 「じゃあ、自分たちでどうにかすれば?」 「今は世界が悪いから、何もできない。誰かがよくする」 まずい、ミューの不機嫌メーターが限界値に近づいているのがゴウに伝わった。ゴウが見上げるとハチは静かに頷いた。言い返そうとしたミューの口を塞ぎ、ハチは引きずった。 「僕たちは、この村をもう出ます。失礼しました」 普段でもゴウはミューに勝てない。不機嫌メーターを振り切ってしまったら、どうなってしまうのか想像もつかない。緑のものたちは、早く出て行けというような目をしていた。 「で、SWがこいつらを招いたんだな」 それなら、罰をという声が、群れの中から上がった。 「違います」 「異形と何かを企んでいる」 「村を乗っ取るつもりだ」 SWの反論は、そうだ、そうだ、という、群集の声に消された。群集の一つが、SWに向かって飛び掛ってきたのを皮切りに、群集が動いた。 「危ないっ!」 SWに向かって流れてきた群集の前に、身を割ったのはSPだった。SP、というSWの声がハチには聞こえたような気がした。実際には、群集の足音と批難しているのだろう声が飛び交っているだけで、そんな声は聞こえることはないはずだったのだが。SWとSPは、ハチによって群集の中から摘み上げられていた。群集はそれに気づかずに、どこかにいるはずのSWに襲い掛かっていた。 「二人は、死んじゃったね」 ゴウは腹の辺りの流れを見た。ミューはハチからSWを受けとって、肩に乗せた。ハチはSPを肩に乗せて、群衆の流れを遡るようにして抜け出した。 「ごめんなさい」 ハチは村を出ると、地面に降ろしたSPとSWに向かって、地面に頭をつけて謝った。 「もう、死んじゃったから、村じゃないところを探さないと」 「ごめん、君まで巻き添えにした」 「もう過ぎたことだし、死んだら、生きていたときの過去はなくなるもんじゃないの?」 SWはSPの左足を見たあと、空を仰いだ。SPは驚いたようにSWを見返して、ありがとう、と呟いた。 「せめてものお詫びに、二人の好きなところまで運んであげたいんだけど」 ミューはすまなそうに、自分の肩を指差した。ゴウは、ミューとハチの肩の上にいるSPとSWを見上げ、目を細めた。 「五人パーティーになった」 「ゴウの攻撃力に変わりはない」 ミューの的確な指摘にハチだけが笑っていた。SPとSWは、普段とは違う景色の流れをゆっくりと楽しんでいた。

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