仮レ宙

3,Extremes meet.《両極は相通じる》

「アタシ、頭を鈍器で殴られた気がしたわ」
お洒落に演出された居酒屋のカウンターで、ロックの梅酒を片手に項垂れる金髪の女性に、目の前で酒を用意する店員も明らかにギョッとして視線を送った。
「いきなりどうしたの?」
そう心配そうな声を友人らしき女性にかけられ、金髪の女性は顔を上げた。
「コクトウ。アタシって臭い?」
「はぁっ?」
突然の質問に、コクトウと呼ばれた女性は大きな目をさらに大きく見開いて固まった。
「アタシ、匂いがダメだって言われて、彼と別れたのよーっ」
カウンターに突っ伏したのはスカンクではなく、金髪の女性。面食らって言葉を失っていたコクトウは、ハッと意識を取り戻したように、動き始めた。
「ちょ、ちょ、ちょっちゅ、いやいや、ちょっと待って! 彼って誰?」
「えっ? つき合ってた人」
顔を上げ、キョトンとした様子で、金髪の女性が返事をする。
「サンダー? 私、新しい彼できたって聞いてないよ」
隣に座る金髪の女性、サンダーに非難の色を滲ませた言葉が送られた。彼女はスカンクというよりはニワトリだと、コクトウは溜息をついた。
「あれっ?」
悪気がないのがありありとわかる表情にコクトウは溜息をついた。
「少なくとも先月は『彼氏がほしい』って叫んでた」
「そうだっけ?」
「で、何? その別れた理由」
その別れを思い出したのか、サンダーは目を潤ませた。
「知らない。匂いが合わないから別れようって言われたの! 最近は香水もつけてないから、アタシの体臭ってことでしょ? それなら立ち直れない」
サンダーの周りの匂いをコクトウは嗅いだ。
「靴でも脱いだ?」
「臭うってこと?」
「一番、可能性が高そうだから」
「服も靴も脱がなかった。ますます絶望的」
サンダーは右手で目を覆った。
「長い間一緒にいるけど、臭いって感じたことなんてないわよ。理由のこじつけでしょ」
コクトウは、溜息をついたあと、ぴしゃりと言い切った。その言葉に、ハッとしたように、サンダーは顔をコクトウに向けた。
「ああ、そっか」
サンダーは納得した様子で、梅酒を一口、口に含んだ。そうよ、と答えて、コクトウも焼酎に口をつけた。
「それより、コクトウ、いきなり何なの?」
思い出したように、サンダーはコクトウに詰め寄った。
「私にもわからないわよ」
サンダーの変わりように体を仰け反りながら、コクトウは返事をした。
「なんでいきなり『クビ』宣告されてるの?」
「知らない。同じにドラマチックなら、ハーレクインの恋愛劇のほうが十数倍マシだった」
「世の中には、常識なんてあってないようなもんだからね」
「あんたから『常識』という言葉を聞くことになるとは思わなかったわ」
心底驚いたような顔をしてコクトウは続く言葉を失った。もちろん、その後に展開されたサンダー主導の話はランダム処理がなされているかのように、あちらこちらへ飛び跳ねた。そこで得られる貴重な情報を盗み出すことはSSLの解読以上に難しいという。その優秀なセキュリティ機能がベストエフォートを約束する条件は、情報の整理も記憶もできないということで、今回も最高の働きを見せてくれたサンダーにより、その会話の記憶はきれいに隠蔽されていた。

「コクトウのあのストーカーどうなった?」
「どれ?」
「引っ越す直前の」
「何のために引っ越したと思ってるのよ」
「愚問だった。おめでとう! 三回目の引越しと番号変更」
おどけた口調のサンダーに、コクトウは右ストレートをお見舞いするように腕をサンダーに突き出した。
「そのお陰で出会いもお金も仕事もない可哀そうな私を慰めてくれるのは、友達だけよっ」
カウンターに突っ伏したコクトウは、目だけをチロリとサンダーに向けた。
「だから今日はおごってね」
サンダーは苦虫をつぶしたような表情をしながら、印籠代わりにカラオケの会員カードを見せた。
「じゃあ、このあともつき合ってもらうわよ」
「すみません。お会計」
サンダーの呼びかけに、忙しくて持ち場を離れたらしいイケメン店員はおろか、誰も反応していなかった。
「あれっ? トーコ?」
代わりに、細身のスーツに身を包んだ同じくらいの年代に見える男性が声をかけてきた。名前を呼ばれたコクトウも、声のする方向に顔を向ける。
「あれっ、シカ? どうしたの? こんなところで」
「シカはやめろって」
その様子を見ていたサンダーがコクトウの肘をつついた。
「誰?」
「大学のときの同級生のシカ」
「いい男じゃない! 紹介して」
泣いたカラスがなんとやらという様子に、コクトウは口をポカンとあけた。
「トーコ。こちらの美人は? こんな美人の友達がいるなら、この間飲んだときに連れてきてくれてもよかったのに」
「高木朝未です。彼女とは高校の頃からの付き合いで、今日は失業した彼女を慰めてたの」
興奮しすぎてフライング気味のサンダーの返事に、小さく突っ込みを入れているコクトウのことなどお構いなしに、会話は続いていくようだった。
「へぇ、アサミチャンか。かわいい名前だね。俺は相葉雅行。よろしく」
「可愛いなんて、誰も言ってくれないのに、こんな素敵な人に言ってもらえるなんて」
仲介者を無視して展開される会話に、コクトウは視線だけを送っていた。
「今度、合コンしない?」
「是非!」
「じゃあ、番号交換しておこうか」
早速、携帯電話を取り出し、赤外線機能を操作し始めた二人の展開の速さに、見守っていたコクトウの開いた口を閉じることができないようだった。
「ん? そういえば、失業って?」
双方の目的が達成されたところで、シカが話題をコクトウに向けた。
「今日、いきなりクビ宣告されたの。来週から失業者よ」
コクトウは右手の手のひらを上にして、シカに差し出した。
「ええっ? 重要なポジション任されてたろ? って、この手はなんだ?」
「可哀そうな私にお恵みを! お布施でもいいわ」
「今日はダメ、今度ね」
「合コンね」
サンダーが店員を呼ぶのに意識が向いているのを確認し、コクトウが目を光らせ口の動きだけで聞くと、シカは身を屈めて、コクトウの耳元で、そう、と囁いた。入力の時点で規定外の情報をエラーと認識し排除してくれるサンダーには不要ともいえるのだが、これはコクトウ流の大人の配慮ということだった。
「まあ、ストーカーの件もあったし、近々ね。アサミチャンにもよろしく」
「ありがと。基本的に貧乏になるから、家飲みで構わないわよ」
「ありがとう。また、連絡する」
シカは自分の携帯を示しながら、本日の舞台へと戻っていった。
「私からも連絡する」
ようやく店員を捕まえることに成功し、カードを手渡したサンダーは安心したようにコクトウに振り返った。

Back ← 3 → Next
Back to Story info